【江戸の乳と子ども】

「江戸の乳と子ども  」  沢山美果子


  「江戸」と「乳」…私の大好きワード!
何故江戸に惹かれるのか謎なのだが…昔の話…と言っても江戸時代は、さらに遥か昔の時代に比べて、日記や文献、絵などが多くあり、イメージしやすいというのがある。
何故昔をイメージしたいのか…?
どの時代も自分に繋がる(血脈)人々が必ず生きていて、どう過ごしていたのか、どういのちを繋いできたのか、そんなところに思いを馳せることがただ好きだということ。

前置きが長くなったが、この「江戸の乳と子ども」の本には、子どもの死亡率がとても高かった江戸時代に、乳が重要でどんな役割を果たしていたのか、だからどんな問題があったのか…その時代の必死さと矛盾が書かれている。

子どもが無事に二十歳を迎えるのは生まれた子の約半分。それに加え、母体もお産のたびに命を落とす危険もはらんでいた。頻産は女性にとって、とても危ないものであった。このことは、生まれた子を残して母が死亡することも多かったということであり、その場合は、乳を確保する必要があったということである。
そのために、もらい乳をしたり、乳母なる乳持ち奉公を雇ったり、乳の粉を溶いてやったり…いのちを長らえさすことは、とてもとても大変なことであったようだ。
乳持ち奉公は、子を産んだ母が自分の子を置いて奉公に出ることもあり、そうなればその子は乳をとられることになる。また、子を産んですぐに亡くした母は、その余る乳をもらい乳を回したり、捨て子をもらったり、ということもあったようだ。
また、つけ乳といって、生まれた子がしっかり胎便を出し切り、母の乳が出始めるまで他の乳の出る女性に乳をあげてもらうということもあたりまえにあることだったようだ。
そう思うと、乳はあくまでも「人の乳」ということであり、「母の乳」にはこだわらなかったということでもある。
「母の乳」にこだわらなかったことは、子どもの死亡率が高かったこと、いのちを繋いでいくことの大変さが背景にあると思われる。

この本には、「人の乳」であればいいという時代から、今日の「母乳」をといわれる時代への変遷に関しても考察されている。

「もらい乳」「乳持ち奉公」「捨て子と 後継」「長期授乳と妊娠間隔」「ほし殺し」「母乳と偽母乳」

江戸時代を生き、後を受け継ぐ子を育てるための「乳」。
現代は、「人の乳」を必死に確保しなくてもミルクというものがある。今も昔も、産婦の体調によって母乳の足りる足りないがある。同じ女性でもその度毎のお産で同じように母乳が出るわけでもない。ミルクを補足することに後ろめたさなんか必要ないのだ。
ただひとつ願いたいのは、だからと言って安易にミルクを…とならないでほしいということ。昔の人々が必死に確保しようとした「乳」(現代では母乳)を是非赤ちゃんにあげて欲しいと思う。それには、特に生後二週間の母子に関わる助産師や医療従事者の正しい知識と技術は必要だ。

「人の乳」をなんとか手に入れ、江戸時代を生き抜いた自分の先祖に思いを馳せ、今在るこのいのちに感謝して、明日からも生後間もない母子に関わっていきたいと思う。



助産師 かなで

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